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zoom RSS 画家の箴言名言(6)/パブロ・ピカソ「虚構の中の真実」

<<   作成日時 : 2012/03/03 18:16   >>

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「芸術は、真理を悟るための、虚構である。」/パブロ・ピカソ

     ■ピカソ「3人の楽士(1921年)」
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さて「画家の箴言」シリーズは過去に5回連載してきましたが、今回のピカソの言葉に関してもこれまで同様、画家が語った言葉の説明というよりは、その言葉から私の主観的な理解を伝えていきます。

まず、前回のブログ記事パブロ・ピカソ「キュビズム」と作品の変遷に目を通されてからこの記事を見ていただければ幸いです。
ピカソ「無垢へのあこがれ」

●絵画芸術なるもの
ピカソ芸術は、必ず自然や人間など、この現実世界に存在する事物を対象にして、それを独自の視点で見つめ、解体し、再構成しながら、見るものが驚くような世界を出現させました。

絵画というものは、例えば風景画一つを取って見ても、もし何人かの画家が同じ条件で同じ物や場所を描いたとして、描き出されたそれぞれの作品には自ずとはっきりと見て取れる違いが生じます。

違いの正体は、絵画の技術の差ではなく、別次元のもっと内的な要素です。それは、対象を「どう見るのか」、あるいは「何を見ようとするのか」という作者の内面の違いです。ピカソはここにも天才性を発揮しました。

絵画は画家が描き出した「虚構(フィクション)」に過ぎません。言葉を換えれば「幻想(イリュージョン)」です。虚構や幻想はこの現実の世界とつながってはいるが区別されたもう一つの世界です。

この芸術作品という虚構や幻想の中には、私たちの心をふるわせる真実があります。

わかりやすいのは映画やドラマで、虚構(フィクション)と知りながらそれを見ているうちに感動を覚えるのは、自分自身の内面に確かに存在する真実や真理をフィクションの中に見出すからです。

映画に比べて絵画芸術は、音も無く動きもしない分、見る側がより主体的能動的に関わることで、見えてくるものがあります。

●現実と虚構
私たちがこの現実世界で「生きている」ということは、目に見える「肉体」と目に見えない「心」と「霊魂」の世界に同時に存在しているということにほかなりません。

物質世界における肉体は、美味しいとか気持ちいいという快感や痛いとか熱いとかいう刺激を強く感じます。その肉体的快感や刺激によって私たちは「実在している」と自覚します。心においても気持ちいいとか痛いとかがあるのですが、肉体を持っている限り通常は肉体的刺激に負けます。

肉体と心を現実と虚構に分けようとした場合、上述のような刺激を感じる度合いの差から、物質的な世界を現実とし、物質とは対照的な心や夢の中のような霊的世界が虚構であるかのように一般的に認識されているのでしょう。でもはたして本当にそうでしょうか?

広辞苑で哲学の「唯心論」を引けば「世界の本体を精神的であるとする立場」とあります。そして仏教の「唯心」は、「一切の存在は心の変現したもので、心が唯一の実在であるということ」とあります。

唯心的観点に従うと、私の心が原因となって私を取り巻く物質的現実世界が「虚構」や「幻想」として出現しているわけです。そして絵画は、第一の虚構である物質的現実世界をモデルとしてその世界の中に新たに出現させた第二の虚構なのです。そのどちらも心が変現したものです。


●絵画という虚構に潜む真実

「芸術は、真理を悟るための、虚構である。」

ピカソのこの言葉は、「芸術作品は虚構だが、芸術行為は真理を悟るためにある」と解釈することが出来ます。(ここで言う芸術行為には創作だけでなく鑑賞も含まれます。)

ピカソは、この物質的現実世界が私たちの内面が生み出した虚構であることを見抜いていたのでしょう。そして、この現実世界に存在する事物を多視点から見るやりかたで虚構を解体し、ピカソ自身の内面を投影して浮かんでくる真実を作品の色や線や形に換えて表わしたのです。

それが時に怪物のように描かれたりするのは、ピカソが、自らの真実にそむいて媚びるような装飾的芸術だけに甘んじることが出来なかったからです。いつも自分自身の内面に忠実であっただけのことです。

ピカソにとって絵を描くという芸術行為は、絵という虚構の中にあって、めまぐるしく変化する自身の内面の真実を確認する術だったのではなかったのかと思うのです。

「青の時代」の貧しい者への共感や慈しみ、「分析的キュビズム」の知的な探求、「新古典主義」の親子の情愛や抒情、「ゲルニカ」のファシズムに対する怒り、時に性愛への強烈な衝動や暴力的な反抗の形など、様々な表現は、そのどれもが嘘偽りの無いピカソの真実だったのです。

ピカソは「真理」が宗教の経典やどこか遠いところにあるのではなく、人間の内面の真実に根ざしていることを確信していたに違いありません。そしてその真実を描こうとしたのです。

ところで、人間はもともと自分の観念に無いものは受け容れがたく拒絶するものです。ピカソの初めてのキュビズム絵画「アヴィニョンの娘たち」を見た人は、専門家でさえ嫌悪感を示しました。ここでもし作品の中に醜さのようなものを感じるとしたなら、それは自分自身の中の醜さにほかなりません。醜さは悪ではありません。醜さは善悪の概念に属するものではなく、相対的に美しさを知るために人々の内面に備わっている一つの真実です。

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「アヴィニョンの娘たち」は作者の真実の表現でありますから、最初は拒絶していた人でも見続けるうちに、次第にその中に美が発見されてゆきます。

芸術家は社会に充満する集合意識を自らの魂に敏感にキャッチして意識的かつ無意識的に作品に表しているのです。それが時代性です。

芸術作品は、作者が生きた時代を通して、世界と人間の美しい本質が映し出されたものです。
ミケランジェロ彫刻「ピエタ」美しきミーメーシス

人間の美しい本質を描いた芸術作品は鏡のように見る者の内面を映し出します。時代を超えて。

もし、見る者の内面に病的なトラウマのようなものがあるならば、時にそれまでも映し出されてしまいます。しかしそこから逃げないで対峙してゆくときに、芸術の美は浄化の力を発揮していくのです。
絵画の価値(4)「精神性」その2・潜在意識の浄化

なぜなら美の奥にあるものは愛の力だからです。

ここでもう一つピカソの言葉です。

「芸術は日々の生活の埃(ほこり)を、魂から洗い流してくれる。」

ピカソ芸術は、キュビズムという形状の探究でした。しかしピカソが本当に為そうとしたことは、絵画という虚構の内側にあって内的な真理を見出そうとすることでした。ピカソは、私たちが虚構と思っている世界すなわち芸術作品としての絵画こそが、実は、魂が安息できる本当の現実であることを知っていたのです。

物質的な現実世界と霊的な心の世界が織り成して生み出された絵画という虚構は、すなわち真理を浮き彫りにして見せる「超現実」なのです。

岸田劉生「切通之写生と麗子像―リアリズムにぬり込めた超現実」

「芸術は、真理を悟るための、虚構である。」

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ピカソ「ゲルニカ」とボブ・ディラン


画家の箴言
(1)棟方志功
(2)アンリ・マティス「デッサン・精神的光」
(3)ポール・セザンヌ「修行僧のごとく」
(4)パウル・クレー「嘘の無い絵画」
(5)平野遼「本物の光」
(7)高山辰雄「いのちに触れた筆」
(8)パブロ・ピカソ箱根彫刻の森美術館から
(9)フィンセント・ファン・ゴッホ「画家の生き様」

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