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zoom RSS キリスト磔刑図・私の十字架

<<   作成日時 : 2013/05/01 01:38   >>

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■エル・グレコ「十字架のキリスト」国立西洋美術館蔵1610〜14
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●あるTV番組
もう何年も前の話だが、「重度の障害をもった男子中学生が、卒業にあたって普通クラスの生徒たちのために漢字で書を書いてあげる」というドギュメンタリー番組を見たことがある。

障害をもった生徒は歩けず両手も使えず話すこともできない。彼は車いすに座り、墨を含んだ筆を口にくわえ、色紙を手に持った先生との共同作業で文字を書く。そうして出来上がった書を見て私は驚いた。それは見事な芸術作品だった。

TV画面を通して見てもそこはかとないよろこびが心に湧きあがってきたのを覚えている。

欲しいと思った。

友達一人一人のために書かれた文字の内容は先生と相談して決めたのだろうか。一つ一つの文字は何だったか忘れてしまったがこころに響いた。

少年は全く言葉を話せないので表情によって意思を伝える。悲しみ、戸惑い、そして屈託のない笑顔。そんな彼が友達と接する場面も映していた。

よく暴れて先生を困らせるというある男子生徒の一言。

「むしゃくしゃした時に、こいつ(その障害を持った生徒)の傍にいるだけで、不思議に気持が落ち着くんだ。」

その言葉を聞いてこんな思いに駆られた。

『この子はキリストだ。崇高な魂、彼はその存在のみで人々を癒すキリストに違いない。』

本当にそう思った。

●魂に共鳴する人と絵画
人は誰かと一緒にいるときに、自分という人間を理解してくれる相手を好む。またそうした人と居るのが楽しい。一方、たとえ自分の話を深く理解できない相手だとしても、一緒にいるだけで何故か心が落ち着いたり癒されたりする人がいる。

それは魂の深いところで共鳴できる相手だ。言葉を介さずともなせる魂の交わり。

ある意味で言葉は虚しい。言葉は時として人を傷つける。理解と同じくらい誤解を生むのも言葉だ。

キリストの言葉も多くの誤解や曲解を受けてきただろう。

絵画は言葉や理解を必要としない。感じることの方が重要だ。

絵画は無言でその人に寄り添う。

無条件に心が惹かれる絵は言葉を交わさずとも魂が共鳴する人のようなものだ。もしそんな絵に出会って買うことができるものなら「迷わずすぐに買いなさい」。

それは幸せをつかみ取るための人生最大のチャンスの一つなのだから。


●キリストの磔刑
イエス・キリストはみ言とその生きざまによって人々を導いた。ではイエスと上記の少年との間にはどんな共通点があるのだろう。

十字架。

少年にとっての十字架は重度の障害であり、キリストにとっては文字通りの十字架だが、少年もキリストもその重い十字架を背負え得るほどの崇高な魂の持ち主だ。間違いなくそうだ。

苦難を超えた人こそ魂に希望の光を宿す。話し出せば涙で言葉にならないほどの苦難を味わった人がいる。だが決してそこに囚われていない。そんな魂こそが芳しい香りを放つ。
画家の箴言(5)平野遼「本物の光」
ジョルジュ・ルオー「受難の道にさす光」

人はみな生まれ持って自分の十字架を背負いながら生きている。その十字架ゆえに、どんな人でもみな、あのキリストのように誰かの魂の救いや進化のために役立っている。そしてみな誰かに助けられて生きている。自覚があろうと無かろうとだ。

どんな人でも、その存在は世界にとってけっして無意味なんかじゃない。

だから過ぎ去った時を恨んではならない。よろこんで今に生きるべきだ。


●磔刑図の効用
聖書の場面を描いたキリスト教絵画は、文字が解らない人の理解のためにあるだけではなく、見る者の情に直接働きかけることで霊的に導く効果が大きかった。

おびただしく描かれたキリスト教絵画の中から14世紀ころから17世紀までの「キリスト磔刑の図」をここにいくつか羅列してみる。

絵画芸術として見ればどれもみな感動的に美しい。だが十字架にかかったイエス・キリストの絵は「わー、すてき」と言って見るような代物ではない。また、何も知らぬ人が見れば時にグロテスクでさえある。

クリスチャンたちは人類(自分)の罪を背負って十字架についたキリストを愛し崇め、教会に飾られた絵や彫刻やレリーフはそれをフォローする。

しかし、もし磔刑図の前に立った人間が異邦人であったとしても、「キリストの苦難は自分のことだ」と思える時に、あるいは「私はゆるされている」と感じるときに、宗教画としての磔刑図はその役割を真の意味で果たすことになるのだと思う。

間違ってもこう思わないでほしい。キリストの磔刑図を見て自分は罪人だなどとは。そんなことは神もイエスも願ってなどいない。もし罪と思うようなことを犯したとしてもそこから学べばいい。それは既に赦されている。なぜなら神は裁かないからだ。自分で自分を裁くのはやめた方がいい。

磔刑図は、イエスという人物がそうしたように、現在の自分にふりかかる苦難を肯定的に受け止めて、人々に愛を与えて生きてゆこうとするときに、磔刑図としての意味が生まれる。

私はそう思う。

ジョルジュ・ルオー「受難の道にさす光」

ゆるしの美学

絵画の見方(2)「自分のこととして見る」

「芸術と宗教」スピリチュアルなアート

フィンセント・ファン・ゴッホ「種をまく人」

「ボッティチェリ展」が語ってくるもの(東京都美術館)

奇跡のメカニズム@「絵画はネガティブな精神を浄化するか」

奇想の画家ヒエロニムス・ボスと枝葉の刺繍の画家

それでは、ご覧あれ。

■ジョット・ディ・ボンドーネ「スクロヴェーニ礼拝堂のフレスコ画」14世紀ころ
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■アンドレア・マンテーニャ 1459年
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■ヒエロニムス・ボス 15世紀
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■マティアス・グリューネヴァルト「イーゼンハイムの祭壇画」1511〜15頃
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■アルブレヒト・アルトドルター 1515〜16
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■エル・グレコ 1596〜1600 プラド美術館
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■ラファエロ「チッタ・ディ・カステッロの祭壇画」1502~3
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「ラファエロの魅力」国立西洋美術館ラファエロ展から
■ミケランジェロ「磔刑」素描
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ミケランジェロ彫刻「ピエタ}美しきミーメーシス
絵画の価値(4)「精神性」その2・潜在意識の浄化

二人の神1
二人の神2(東日本大震災と世界)
二人の神3/映画「LUCY(ルーシー)」


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