「パウル・クレー|おわらないアトリエ」東京国立近代美術館

「クレーは緻密な計算と分析と独特な技法で描いていたのだ」ということを、東京国立近代美術館のクレー展が具体的に教えてくれたことに意義はあるでしょう。
画家の箴言パウル・クレー「嘘の無い絵画」


※クレー展チラシ(2011年5月1日~7月31日 クレー展ウェブサイト
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チラシの文章によると、かつて日本で開催されてきた数多くのクレー展が「詩情豊かにクレー芸術の魅力を伝える役割を果たしてきた」ことに対して、今回の東京近美(と京都近美)が開催したものは、「クレーの作品が物理的にどのように作られたのか」という技術的な視点から鑑賞者の目を楽しませようとしました。

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                ※切断前の作品
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           ※クレー「なおしている」1940年 48.2×36.4㎝
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           ※クレー「マネキン」1940年 48×26㎝

きっと知的な欲求を携えた研究心旺盛な専門家たちは、この展示に満足の笑みを浮かべたのでありましょう。

こんな言い方をしたからといって、私はなにも専門家の知的な悦びに水をさす気はありませんし、この企画がつまらないと思ったわけでもありません。むしろクレー芸術について初めて知ったことがたくさんあって有意義でした。

しかし、初めてクレーの美術館企画を見る私にとって、今回の展示作品は「期待していたよりも感動を与えてはくれなかった」というのが正直なところです。

まあ、「私に知的な素養が足らなかった」と言ってしまえばそれまでなのですが・・・。


展覧会に足を運んだのは開催初日の午前中で、きっとクレーが大好きな美術ファンもたくさんいたと想像します。

そんな鑑賞者たちの中に「戸惑い」が見られました。それは「つぶやき」となって館内のあちこちから聞こえていました。

その「戸惑い」とは、客動線のわかりづらさから来るものです。

私のような方向音痴の人やお年よりは、迷宮のような会場の壁の上に目を泳がせて「ここはどこ?私はいったい何を見ているの?」となってしまわないようにお気をつけください。

美術館の壁よりもクレーの絵の中の迷宮に入るほうがよっぽど楽しいのですから。


絵は解ろうとするものではない

ある婦人が「わからない・・・わからない・・・」と独り言をつぶやいて行ったり来たりしながら歩いていました。

「企画の意図」がわからないのか、「お目当ての作品のありか」がわからないのか、「客動線」がわからないのか、はたまた漠然と「絵のよさ」がわからないのか・・・。

もしも、この婦人のつぶやきが意味しているのが「絵がわからない」ということであれば、絵を見る動機からわかろうとする気持を追い払ってもう一度見て回るのがよいのです。

そしてブルース・リーの言葉に従うべきです。「考えるな。感じろ」

感じれば、考えも浮かんできて、何かしら解ることも出来ましょう。

勉強不足の私が指摘するのもなんですが、バウハウスでの講義ノートなどのたくさんの書簡が示すように、たしかにクレーは、深い思索と知的な作業を積み重ねて創作を続けました。

が、結果としてあらわれたクレーの作品は見る側に知的な要求をしていません。画家の箴言パウル・クレー「嘘の無い絵画」



そのうち、このブログの表題でもある「絵画の見方/買い方」を内的な視点から詳しく書きたいと思っています。
絵画の見方(1)「主観的鑑賞」
絵画の見方(3)「美術館での鑑賞のしかた」

おわらないクレー・ブログ記事

いつも長ったらしい私のブログ記事に最後までお付き合いいただいている方々には心から感謝しております。

ここから先の画像も文章も東京近美のクレー展とは関係がありません。

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※クレー「寺院の庭」1920年 グワッシュ 18.4×24.7㎝
完成した作品画面を三つに分割して左右を入れ替え再構成しています。


「宇宙には、最終的には、確固とした切れ目も、柔軟な切れ目も存在しない。ここを支配するのは、原(ウア)運動、すなわち規範としての運動である。動いているのは全体である。我々は地球にあって静止し、太陽が我々の周囲を回っているという意見は錯覚だった。太陽は動かず、我々の地球だけが回っているというのも錯覚である。太陽も動きのある軌道をもち、惑星は太陽の軌道にきちんと組み込まれた軌道をもっている。動いているのは全体なのだ。」(造形理論ノート・1922年1月30日の講義/日経ポケットギャラリー・クレーより)

我々の宇宙の存在物は、全てがつながっており、互いに影響を与え合いながら常に変化しています。

クレーは、その宇宙的な秩序と広がりを、その小さな作品画面の内側に鮮やかに再現して見せているのです。

画家の箴言パウル・クレー「嘘の無い絵画」

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           ※クレー「セネキオ(野菊)」1922年 油彩 40.5×38㎝
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           ※クレー「ある芸術家(自画像)」1919年 ペン 23×13.5㎝


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この記事へのコメント

岬の石
2011年06月04日 16:53
クレーはイーゼル絵画ではないので、目の美味しさが少し足りないとおもいます。クレーの描く対象はクレーの眼前にあるのではなくクレーの頭の中にあるのでキャンバス上の形象に坂本繁二郎の言う「物感」がないのだとおもいます。
2011年06月05日 08:00
コメントありがとうございます。物質の刺激というものは強く、絵画もイーゼルを立て、物質(空間)を通して世界をあらわすことでその刺激が「物感」すなわち目の美味しさとなると考えると、なるほどと思えます。クレーについては少し検証の余地がありますね。

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