絵画の見方(1)「主観的鑑賞」

今回から何回かに分けて「絵画の見方」というテーマで書いていきます。

自分なりの絵の見方を持っている方よりも、絵画に興味があるのに今一歩入り込めないという人にはかなり役立つと思います。

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           ※スーチン「カスタン夫人の肖像」

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           ※ゴッホ「カラスのいる麦畑」

画家の箴言名言(9)ゴッホ「燃える魂の声に従った人生」

●絵がわかるってどういうこと?

長年、絵画の販売現場に立ってみて、「絵がわからない」という言葉をよく耳にすることがあります。

そんな人たちに向かって、私はけっこうありきたりなアドバイスをします。

「Don’t think. Feel」(ブルース・リー)

解らなくとも感じることは可能です。言い換えれば「わかろうと」するのではなく、感じたままに心に絵を受け止めてみることです。

また絵が苦手という人の多くは、小さいときに絵を描いて、誰かに「ヘタ」と言われたことがトラウマとなって、「絵は苦手」と思い込み、ついには「解らない」と決めてしまっている人が多いようです。

つまり「絵がわからない」と言う人は自分でそう決めているだけです

潜在意識の中に、絵画に対するマイナスのイメージが植え付けられてしまったわけですが、そんな観念を手放すことからはじめなければなりません。

そのためにも、まずは「考えないで感じる」ことです。


では、美術の専門家や美術愛好家が絵をわかって見ているのかといえばはたしてそうでしょうか。

「絵が解る」という言葉自体は、たくさんの意味を含んでいます。

《知的》には
・美術史の位置づけ
・構図や描き方などの技術
・テーマ
・時代背景や作家の人生観
・・・・

《情的》には
・色や線や造形やマチエールの美しさ
・かわいい・可笑しい・悲しい・・・といった情感
・絵画から受けるエネルギー、
・叙情性
・・・・

ここに《知的》《情的》と分けて書きましたが、これらのどこまで解れば「絵がわかる」ということになるのでしょうか?

作品から受ける印象や感じ方に決まり切ったものがないことを思えば「わかる」ということに正解はないのです

●主観的に見る

主に「知的な理解」とは客観的でかつ論理によるもので、「情的に感じること」は主観的で理屈を超えています。

例えば、ある画家がマチエール(画肌)を作るためにどんな工夫を凝らしているかということを解析して喜びを覚えるのは美術館の学芸員ですが、一般の鑑賞者はそのマチエールの質感が自分にとって気持いいかどうかということの方が重要です。

知的な理解や深い見方においては専門家に負けますが、情的には専門家に感じられないことを素人が感じることは多々あるのです。

あるとき、一枚の風景画の前に立って、美術に関しては門外漢ともいえる人から「この絵の中の赤い色はどことなく悲しい」と言われたことがあります。

通常赤い色は「情熱」や「元気」といったイメージが強いですが、それとは遠くかけ離れた感情である「悲しみ」を感じたというのです。

あくまでその人が主観的に見て感じたことで、しかも特別な理屈など全く無かったのですが、「赤が悲しい」の一言を聞いてこちらの視点が変わりました。

視点が変わることで、同じ絵なのに、その感想を聞く前に比べて何か別の存在感を覚えたという経験があります。


●具象画の主観的表現と客観的描写

絵画を見る人が「悲しい」と感じるのは、通常は、作品に作者である画家の悲しい感情があらわれ出ているからと考えられますが、その場合も画家の内面が「無意識のうちに」作品に投影され表現されてしまったものです。

つまり、意図して悲しみを表現しようとしなくても自然に出てしまうのです。

(むしろ意図的で過剰な感情の表現は鼻についてしまい鑑賞に耐えません。)

例えば、冒頭に掲載したスーチンやゴッホの作品からは、どことなく不安で陰鬱な雰囲気が漂っていますが、これは作家の内面が画面に表出されたものです。

こうして思考や感情などの内面を作品にあらわす画家を「表現主義」的だと専門家は言います。

ただし、ここで確認すべきことは、ゴッホは常にスケッチを基本として描いています。つまり描写から入っているのです。ゴッホは自分の目に写った風景を描いているのであって、先述したように、意図的に内面の感情を表現しようとする動機で描いてはいないはずなのです。

ただ、結果的に見る者はそれを感じてしまうので「表現主義」といわれるのでしょう。

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           ※スーチン「カスタン夫人の肖像」

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           ※ゴッホ「カラスのいる麦畑」


作家を知ることにより絵から受ける情感はますます深まるものです。スーチンやゴッホの生涯やその作品が描かれた年代を知って彼らの絵をみると、上記の「不安」がなるほどと思えてきます。

ということは、矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、知識や知的な作業は、情的に感じる力を高める確かな役割があるといえます。しかし、だからと言って、知識が鑑賞の本質的な力だというわけではありません。先立たせるものではないのです。


作者の感情を画面に表わすいわゆる表現主義的な作品は実際の形や色彩よりもデフォルメ(変形)がされて強調された表現になる傾向があります。

表現主義的な作品とは対称的に、岡野岬石やモネのように「描写」を主体にした作品は、内面の表現ではなく客観的な写実によって世界の美をあらわそうとします。

ここで、客観的な写実に力点をおいた画家たちであったとしても、どうしても主観的な内面が反映します。それは色彩やタッチに現れます。

なぜそうなるのかといえば、作品に表出する色や造形や構図などの形状を支えている根本的なエネルギーは、必ずしも思考や感情ではなく、人間の内的な存在要素である「霊性」(中島誠之助の贋物鑑定に学ぶ)だからです。感情を排除したとしてもその奥にある作家の霊性(性品)がモチーフや構図や視点を選ばせるというと言ったらよいでしょうか。

そして、作家の霊性は、技術とともに作品の品格を決める重大な要素なのです。

《モネ作品》
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●鑑賞者の内面を映す絵画

話を「鑑賞」に戻しましょう。

たとえ作者(画家)の感情(例えば悲しみ)が作品に色濃く反映されているものでなかったとしても、その作品を見た鑑賞者が「悲しみ」のような情感を感じることがあります。

それは鑑賞者自身の内面が鏡に映るように絵に映っているのです。

鑑賞者が主観的に見るときに作品は作者を離れて一人歩きをします。

もしもここで、「私は絵がわからない」と思いこんでいる人が、「この作者は何を伝えたいのだろう」と作者の相対的立場に立って、作者の意図ばかり求めて、頭で知的な作業をすればするほど、頭の中は空回りして、絵を感じることから遠ざかってしまうものです。

それは絵を楽しむ上で逆効果です。

ですから、最初から頭であれこれ考えず、まず主観的立場に立って絵から何かを感じ取り、その後でその絵や作者についての知識を求めることをお勧めします。

プロの芸術家は高度なスキルを身につけるためにたゆまぬ研鑽をしますが、基本的に芸術表現そのものは「自由」です。そして、スキルに先だって画家が絵を描こうとする動機の原動力は、森羅万象から受ける理屈を超えた「感動」なのです。

ゆえに鑑賞者も鑑賞のスキルとしての知識を身につけることよりも、心を自由にして作品そのものを情的に受け止めることの方が先です。

まずは絵の前に心を開いて素直に見てみましょう。直観するのです。

※民芸運動の創始者である柳宗悦(やなぎ・むねよし)は、上記の見方を主観ではなく直観だと言いました。

そして自分のこととして徹底して主観的に見るのです

すると、貴方と作品との間に霊性の共鳴が始まります

そして、作品に秘められた高い霊性が、貴方の内面を引き上げて、この上ないよろこびをもたらすのです。


絵画の見方(2)「自分のこととしてみる」につづく
絵画の見方(3)「美術館での鑑賞のしかた」
絵画の見方(4)「心に映るものを見る」
絵画の見方(5)「誰でも絵が好きになる鑑賞法」

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