龍安寺石庭の土塀の怪

10月の終わりごろ京都の龍安寺に足を運びました。室町時代に作られた世界的にも有名なこの寺の石庭を訪ねたのは今回で4度目のことです。

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●石庭の厳格な美
龍安寺石庭の解釈に関しては諸説あるようですが、多くの観光客に混じって見せられる石庭は、そこから何かを深く感じ取るとか、誰かの解釈のもとにそれを検証することなどは叶わないというのがその場に立ってみての実感です。

本来、この石庭は、だれも居ないときに独り瞑想にふけるように己の内面を見つめなおそうとするときに何かが見えてくるのでしょう。

私のように龍安寺に対しても枯山水の石庭に対しても深く勉強をしていない者が漫然と眺めたとしても、この石庭はどこかに何かしらの秩序や意味性を仕掛けて作ってあるようには見えず、一見するところランダムに石が置かれた非均斉の構造を持った庭に過ぎません。

ただ、石の位置関係と整えられた白い砂利が、安らかさの中に凛とした緊張感を漂わせています。

三島由紀夫は、「廃墟について」という文章の中で、龍安寺の石庭とギリシャ神殿を比較して次のようなことを書いていました。

ギリシャ神殿の廃墟に見られる非均斉の美は、神殿の完成された均斉美が自然破壊されたことで出来たもので、それは芸術家の「意識」によって生まれたものではないのに対して、龍安寺石庭の非均斉の美は芸術家の「意識」の限りを尽くしたものであるとして、その「意識」を、「執拗な直感」と表現しています。

執拗という言葉が使われるほど、龍安寺の石庭には人間意識の極致からうまれたような厳格さがあります。

●石庭を囲む土塀
さて、今回石庭を訪れて妙に目が行ったものが、実は石庭の後ろにある土塀でした。

石庭の厳格な美に対して、その後ろにある土塀はまったく正反対に無作為に塗られてゆったりとそこにあります。

そして、一番目を惹いたのが、塀の真ん中ほどにあって、まるで人が歩いている足のように見えるところでした。

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この土塀が石庭と同時に建てられたものなのか、あるいはいつごろ塗られたものかはわかりませんが、塀自体はとても古いものだと思います。

はじめてここを訪れたのがもう15年も前のことですが、これまでこの人の足には目を留めた記憶がありません。

厳格な石庭と対照的に、絵として見れば下手くそでどことなく滑稽なその「足」は、静かな石庭の中を動いて歩き回ろうとしているかのようです。

それは作られたときから誰の何の作為もなくただ偶然のようにそこにあるのでしょう。

しかし、もしかして意図的に誰かが足に見えるように描き入れたものだとしたら・・・。

とっても遊び心がくすぐられるのでした。

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この記事へのコメント

天使の羽根
2011年11月20日 09:45
修学旅行以来、2年前に拝観した時に、土塀の不釣合いは意図的なんだろうかとかを、感じたことを思い出しました。
その時、広隆寺に行きたくて、京都人気ランキングも見ながら、いろんなところを巡りました。寧々の終の棲家では、現存する襖絵が、お蔵入りになるので最後ですよと言われ、人の息遣いを回想したことも思い出します。
京都紀行、第二弾を待っています。

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