朝鮮民画(9)「山水図―金剛山図」民画の本質

「金剛山も食後に見学」という諺が韓国にはあります。これは日本の「花より団子」と似たような意味です。「美しい景色」「見たい景色」の代表が金剛山なのです。

金剛山(クムガンサン)は北朝鮮の江原道の東海(日本海)から内陸に位置していますが、その峰は韓国の雪岳山(ソラクサン)に連なり38度線を境に分断されています。金大中大統領のころに一時北朝線が韓国の観光客を受け入れた場所はこの金剛山でした。

韓国の人々はこぞってこの山を訪れ、「死ぬ前に一度は見たいとおもっていた。夢が叶った。」という人も多かったようです。

■民画「金剛山図」10曲屏風部分図
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■民画「金剛山図」10曲屏風部分拡大(擬人化された奇岩)
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●信仰の対象としての霊山
金剛山は「仏教」、「」道教、そして土俗的な「巫神」の三教と関わる霊山と考えられてきました。山峰や奇岩などにはそうした信仰にまつわる名前が付けられている場所が多く、民画の中にも場所の名前を示す文字が書き込まれたりしています。

まずは「仏教」ですが、釈迦峰、観音峰、三仏岩などの名称がつけられた場所は仏教にちなんだものです。また金剛山には長安寺や正陽寺などの寺が建立され、民画には寺とともに仏像を安置した洞窟などがよく描かれました。

次に金剛山は昔蓬莱山とも呼ばれる「道教」の大本山でもあり、仙人の住む霊山としてあがめられました。道教からくる名称としては、神仙峰、天女峰、仙人窟などがあります。

さらに巫俗的な信仰「巫神」ですが、民間の山岳崇拝の高まりがシャーマニズムと結びつくことで、山峰や奇岩を擬人化して見たりしました。巫俗的な名称としては、日出峰、月出峰、鬼面峰、童子岩、亀岩などがあります。

民画の金剛山図は、1万2千峰全体を臨んでそのパノラマを屏風に仕立てたものや、有名な場所をクローズアップしたり、奇岩を強調して描いたり、あるいは金剛山に行き交う人々の姿をユニークな表現で描いたりと、見る者の目を楽しませてくれます。

■民画「金剛山図」
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■民画「金剛山図」部分
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●正統画と民画
李朝(朝鮮時代)を代表する画家の中に、号が謙齋(キョムジェ)・名前が鄭敾(チョン・ソン)という大家がいます。彼は18世紀前半に活躍し、金剛山をはじめとする実景山水画を得意としました。鄭敾は両班(ヤンバン)と呼ばれた貴族の出身で、文人画家ですが、図画署の画員つまり宮廷画家の経歴をもっています。韓国の絵画史を紐解くときに最高位に置かれる画家の一人です。

ちなみに2013年12月の韓国のオークション市場での例ですが、8号ほどの小品の水墨画に日本円にして2千万円を超える落札値が付きました。

■鄭敾「金剛全図」1712年
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■鄭敾「金剛内山図」部分
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■民画「金剛山図」
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朝鮮の山水画は、日本同様中国からの影響を受けてはいることに間違いのないことですが、朝鮮のものは大きなデフォルメが施されたり簡略化されたものが多くみられ、そこには細部にこだわらない大らかで楽天的な民族性があらわれています。

鄭敾の金剛山図は、民画にも似たような描き方が数多く見受けられます。もちろん民画は鄭敾のような専門的な画家の筆力には及びません。しかし、民画には、より大胆に対象をとらえて心の赴くままに描くことでもたらされる造形の面白さがあり、それが大きな魅力となっています。

ここで宮中を中心とした伝統的な正統画の専門画家たちも民画の制作にかかわってきたことを思い起こせば朝鮮民画(7)「花鳥図ー宮廷画家も描いた上手編」、民画と正統画は互いに影響を及ぼしあってきたのではないかと推測されます。

宮中から貴族そして庶民にいたるまで実用画として家々を飾った朝鮮民画ですが、彼らの民画がそのボリュームや質において世界に類を見ないスケールを誇るのは、こうした専門家たちが何らかの形で民画制作に参与していたことによるものです。
朝鮮民画(1)「民画とは」

■民画「海金剛」屏風
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■民画「海金剛」部分図
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●民画の根底にながれるもの
儒教に支配された李朝(朝鮮時代)の正統画は、王侯貴族や儒学者たちによる「文人画」がそうであるように、作品に精神性を求め、制作と鑑賞を通して「人格を高めよう」という動機がありました。一方、家屋内の装飾という実用を目的として作られた民画は、家に絵を飾ることによる素朴なよろこびと、描く方も飾る方も「難を逃れ幸せを希求する」という辟邪招福が主な動機となっています。

李朝の正統画と民画、この二つには、一見内的な接点があまりないように思いますが、共通するものをたずねて見てみたとき、「自然と人間に対するあたたかなまなざし」が感じられます。

民芸運動の創始者である日本人の柳宗悦は朝鮮の工芸品を見て「愛のおとずれを待ちわびている」と感じ取りました。

当時日本の植民地支配を受けていたこの民族に対して柳が抱いていた観念は「悲哀」でした。そこからたとえば白磁を「悲哀の白」と見たのです。そうしたセンチメンタルな視点で彼らの工芸品に接した柳は、自身の内面に慈愛や憐憫の情が喚起されたのでありましょう。

「愛を待ちわびている」という言葉は、柳が朝鮮の工芸の美に共鳴したときに自身の内面に浮かんできた実感です。しかし、それは柳宗悦自身の心の内に潜んでいた悲哀が朝鮮の工芸の美によって呼び覚まされ、同時に喚起された自らの慈愛の情によって自浄するかのように慰められた実感ではないかと思うのです。拡大すれば、柳宗悦の慧眼は、自分自身の内面を通して、工芸美の中に人類が味わってきた悲哀とその慰めを見たのです。

「楽天的」であることと「悲観的」なことは、「緩み」と「緊張」がそうであるように両極にあって一本の線で貫かれ繋がっています。この民族の「楽天性」と「悲哀」、この二つは互いに別のものではなく相通ずる情的なエネルギーです。この民族に本来供えられた「楽天性」は、「悲哀」を味わうことでよりポジティブに磨かれたものかもしれません。

そして、日本人が朝鮮の工芸に触れて心を揺さぶられるのは、張りつめた糸を緩めるがごとくに、厳格な秩序による縛りが解かれるような感覚を覚えるからです。つまりゆるされるのです。
井戸茶碗「戦国武将が憧れたうつわ」根津美術館

特に朝鮮民画(8)「花鳥図ー下手編(わくわくするパボ民画)」で紹介した民画はこうした緩みやゆるしを孕んでいます。

技術的には稚拙に見える放浪絵師たちによる民画は、しかし「幸せを祈る」という素朴な「情」に依拠して描かれており、これは民画全体の根底に流れる要素でいわば魂です。民画が見る人の心を慰め、さらには興を湧き立たせてよろこびをもたらしてくれるそのさらに内奥でこの「情」が息づいているのです。

李朝の最高の芸術家たちである宮中の画員たちもまた、こうした民画の内的な力を感じ取って影響をうけていたに違いありません。そう考えると、民画は、幸せを願う素朴な祈りによってこの国の芸術の根幹を支えて来たと言えるのではないでしょうか。

朝鮮民画(1)「民画とは」
朝鮮民画(2)「文字図Ⅰ(孝悌)」
朝鮮民画(3)「文字図Ⅱ(忠信禮義廉恥)」
朝鮮民画(4)「虎図」
朝鮮民画(5)「文房図(チェッコリ図)」
朝鮮民画(6)「花鳥図ー牡丹図」
朝鮮民画(7)「花鳥図ー宮廷画家も描いた上手編」
朝鮮民画(8)「花鳥図ー下手編(わくわくするパボ民画)」
朝鮮民画(10)「花鳥図ー蓮華図」


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