張淳業CHANG SOON-UPアトリエ訪問

久々に張淳業(チャン・スノップ1947~)のアトリエを訪ねた。韓国画壇の重鎮作家であり人気作家として活躍している。この秋ソウルでの展示会に出品予定の作品画像と2005年に日本で開催された張淳業個展の評論(by Ryota)を抜粋して掲載したい。

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■自作の前に立つ張淳業
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張淳業は2001年にソウル市内から京畿道の山間の渓流の辺りにアトリエを移した。アトリエの向かい側には彼がよく登るという高い山がある。2005年1月、私は彼と一緒にこの山の中腹まで登ってみることにした。ところどころに松林の緑が覗くほかは、山肌はほとんどが褐色に覆われている。

「もう寒さも峠を越したようだね」という彼の言葉に「また寒い日がやって来ますよ」といったやり取りをしながら30分ほど登った頃、張淳業は立ち止まって南斜面の陽だまりとなっている所を指さした。「あそこにチンダルレ(山つつじ)が咲いているよ。」チンダルレは韓国の早春の風物詩だ。私は「まさか」と思って指差された方向をにらんだ。何も見えない。「あそこだよ。」さらに目を凝らして見てみると4~5メートルほど先にチンダルレのピンク色の小さなつぼみが幽かに風に揺れていた。驚いた。とんでもなく気の早いチンダルレよりも張淳業のその困難な発見に私は驚いたのである。

フランスの美術評論家P.ジルペルサンは「悲哀でなければノスタルジーが彼の絵に流れている」と評した。この「悲哀」は張淳業が物心ついた頃に勃発した朝鮮戦争によって彼の潜在意識に植えられたものかもしれない。一方「ノスタルジー」をかもし出す形象として、1985年頃から作品に登場させた民俗的な仮面舞踊や1990年代の『光と時間の話し(太古)』に描かれたジャンスン(道祖神)がある。

かつて村の入り口に守り神として立てられたジャンスンは、たとえ悲哀に満ちたネガティブな現実があったとしてもそこから抜け出そうとする人間の素朴な祈りの形でもある。こうした題材を意図的に採用したというよりは、もともと作家の血に溶け込んだ「民俗」が創作の衝動となってごく自然に顕れ出たものといえる。歴史の中でジャンスンに染み込んだ素朴な祈りは作家の手を通して無意識の内に画面に塗り込められていく。

ゆえに、張淳業のその後の作品が民俗的な題材から離れたとしても、彼の絵の中で解体され変形された人物像や原色に滲む花々が錯綜する空間からは、作家の意念を超えた巫術的で原始的なエネルギーが発散されている。それが、時代と民族を超えて、我々の内に潜むはるかなる郷愁を喚起し魅了するのだ。

光が浸透し照らし出している眼前の現実世界と芸術作品の中の幻想世界は、喩えて言えば肉体と精神の関係に似ている。光によって浮き彫りにされた外的現実世界は、作家自身の神性を通して純化された芸術作品となって顕現する。張淳業の作品からは、あの真冬のチンダルレを見出したごとくの、作家と「世界」との確かな出会いから生まれた事物への愛情が伝わってくる。

彼の絵の中の事物や空間に宿された光は、作家自身の精神の光であると同時に作家の霊性が捉えた森羅万象に秘められたどこまでも心情的な力の具現である。それが、見る者を喜びの衝動へと暖かく導いてくれるのである。

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アトリエの建物は2階が天井の高い作業室と倉庫に別れ、1階は住空間と展示室に分かれている
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離れの建物は一部弟子たちに作業場として開放している
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近くの山で穫ったという栗をお土産にもらう。山に自生した栗でそれほど大きくはないが甘くておいしい。

「韓流ファインアート」韓国の画家たち


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