カタルシス体験/音楽「サイモンとガーファンクル・ボクサー」

絵画の前で泣く人がいる。カタルシスだ。芸術作品によるカタルシス(感情浄化)は、その人が記憶していようがいまいが人生体験に秘められた悲哀を美しく昇華させる。

《芸術のカタルシスは下記記事参照》
絵画の価値(3)「精神性」その1・生き様を映す絵
絵画の価値(4)「精神性」その2・潜在意識の浄化

カタルシスの瞬間は、理性や論理を超え、その人は超越的な時空に置かれる。

今回は音楽で私が体験した話だ。美しい音が記憶を喚起してカタルシスはあらわれた。

カタルシス体験2/鴨居玲展「酔っぱらい」」


●突然こみ上げてきた涙
地方出張の帰り、新幹線を乗り換えた電車の中に座って音楽を聴いていた。

ポップスを無造作に選ぶと、サイモンとガーファンクル(S&G)だった。何曲目からか「ボクサー」という歌がヘッドフォンから流れてきた。

それを聞いていると、不意に「ある回想」とともに自分の中にこみ上げて来るものがあり、目頭が熱くなった。

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高校時代、私は東北の地方都市にある進学校に在学する落ちこぼれ生徒だった。回想とはその頃のことである。


●バンド活動とS君との出会い
私は高校入学とともにフォークソングのクラブに入った。当時は拓郎や陽水などニューミュージックの走りだった。

特に歌が上手いわけでもなく、楽器は小学校で吹いた縦笛以外扱ったこともない。しかしどういうわけかそのクラブの門を叩いた。

同じ1年生でクラブに入ってきた生徒にS君がいた。

彼はギターがうまく、狭いクラブ室で、はじめて彼の弾き語りを聞いたときはその上手さにたまげた。

彼はニコリともせず、なにか神妙な顔で、いきなりスリーフィンガーピッキング奏法を駆使して、S&Gのボクサーを英語で歌い出したのである。それがまた綺麗な声で、まるで外人のような発音で見事に歌うのだった。

英語の歌は、中学の時に初めてビートルズのイエスタディをおぼえたが、「英語の歌ってのはなんて発音が難しいのか」というのが感想だ。ゆえに、流暢に歌うS君に対しては尊敬以外の何ものでもなかった。

クラブでは3年生の先輩に声をかけられ、S君と私は5人グループのバンドのメンバーとなって五つの赤い風船をコピーした。私も少しずつギターをおぼえて、2年生になるころには一丁前に弾けるようになった。

バンドの活動は、学園祭での演奏や盲学校に寄付するためのチャリティコンサートを主催し、自分たちでガリ版でチケットを刷り、当時99円で他の生徒や知り合いに売り、かかった経費を引いて残ったお金を寄付するということを毎年やっていた。

進学校ゆえに3年生は受験勉強のため責任者としては退き、2年生が責任を担う。S君は歌やギターの実力もあって部長、私は副部長となった。

チャリティコンサートで上がった利益を二人で盲学校まで持って行き、そこの校長先生に感謝された記憶がある。また、地元のNHKのラジオ放送に出演したりしたが、そうした時は大抵私が音を外して彼に迷惑をかけた。

こんなふうに言うとS君とは仲良く過ごしていたように思われるかも知れないが、実はそうでもない。

私は彼のことがあまり好きではなかった。率直に言うならば嫌いだった。はじめは尊敬から入ったのだが、彼のどことなくキザに見える仕草が鼻につき、だんだん性格の合わないことが露呈されていく。

S君は髪を七三に分け、細面でスマートなハンサムボーイである。少しガニ股ではあったが・・・。私が落ちこぼれだったのに比べ、S君は現役で旧帝国大学の国立一期に受かるほど勉強ができる。

学年で一番美人だと誉れの高い女生徒がいたのだが、S君から「実は彼女と付き合っている」と聞かされた時は腰を抜かすほどたまげた。まったくいつの間に。噂にもなっていなかったのに。

異性に対してはシャイなヤツとばかり思っていたのが、意外と大胆な男だった。

そんな彼に比べて私は歌も勉強も劣っていたのだったが、人間として引け目を感じたことはなかった。私のほうが人気はあった・・・はずだ。

とにかく、いつの頃からか、S君は私にとって胡散臭い存在になっていた。それでも3年の春までバンドを組み、そのあとはほとんど交流がなくなってしまった。

私は、不良ではなかったが落ちこぼれであったことは間違いなく、ただその悔い改めもせず、ヤマハのポップコンの県大会に出場したりして勉強そっちのけ。その結果、ついには浪人した。

それでも懲りずに、高校卒業時の3月には、地元の有名なアマチュアバンドを誘ってコンサートを企画して、上がった利益で酒を飲んだ・・・。


さて、本題はこれからである。

●S君の心の奥
たしか高校2年か3年のときだと思う。学年全体で合宿があった。何のための合宿かは覚えていない。そのとき合宿所を抜け出して、アパート暮らしの友達のところで酒を飲んだりした。

だいたい真面目な生徒もこういうときに酒やタバコをおぼえたりする。どんな酒かというと安いウィスキーをコーラで割ったコークハイが主流。口当たりがよいので飲み過ぎて悪酔いするやつが出る。

その一人がS君だった。

前後のことは憶えていない。私の記憶にあるのは、S君が電信柱にしがみついてゲーゲー吐きながら私の名前を叫んでいたことだ。

そして、S君を背中におぶって合宿所まで連れて行くのだが、その間彼はわけのわからんことを口走りながらずうっと泣いていた。


「こいつはいったい何が悲しいのか」


私はそう思うと同時に、自分がS君を遠ざけていたことを思い起こし、「きっと寂しいんだ」という想いが、彼をおぶった私の背中から胸の方まで押し寄せてきた。

青春の感傷は、酒の力を借りてふいにやってきたのだ。

彼が眼を覚ましたときにはケロッとして「そんなことあったの?」といった感じだったが。


S君は高校を卒業すると同時に親が転勤になると聞いていた。家族全員で引越しをする少し前、私が家を空けていた最中に一度挨拶のためにわざわざ訪ねてきたらしい。留守番をしていた祖母が教えてくれた。

そのあと私は電話連絡をした記憶はない。相変わらず彼を遠ざけていた。


●座礁したカタルシス
あれから約40年。たまに彼のことを思い出す。

特にサイモンとガーファンクルのボクサーが流れると、S君のことが私の頭をかすめることがあった。

しかし、今回はいつもと違っていた。ヘッドフォンから聞こえてくるS&Gの歌声とメロディーは心に深く滲みてきて、青春の記憶を一瞬のうちに蘇らせた。こうやって記憶を辿って順を追って書いているような形ではない。なんだか説明できない理屈を超えた情の塊となって胸にせまったのだ。

その瞬間、目頭が熱くなり、マスクの下で鼻水が流れた。

電車の向かい側に座っていた女学生が「このおじさんどうして泣いてるの」と言わんばかりに目を合わせてくるので、私の理性がそれ以上泣くことを止めた。

超越的時空から引き戻されたのだ。


「ほんとはもっと泣きたかったのに」


声を出し、嗚咽して、湧き上がる情動に身を委せたかった。嫌いだった男に対する心の負債を涙で洗い流し、その男の愛に身を浸していたかった。

理性は感情の解放の邪魔になるものだ。

私は、おもいのやり場がなく、ただ場所が悪かったことだけを恨んだ。

絵画の価値(3)「精神性」その1・生き様を映す絵
絵画の価値(4)「精神性」その2・潜在意識の浄化
カタルシス体験2/鴨居玲展「酔っぱらい」」

■フィンセント・ファン・ゴッホ「ゴッホの椅子」と「ゴーギャンの椅子」
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