天才絵師「若冲と蕪村」光琳没後生誕300年
絵画の天才とはなんでも描ける人たちだということをあらためて知らされる展覧会である。「若冲と蕪村」がサントリー美術館で2015年3月18日から5月10日まで開催されている。
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2015_2/index.html
■若冲「雪中雄鶏図」114.2×61.9
■蕪村「山水花鳥人物図」十幅対のうち一幅の部分図
琳派の巨人、尾形光琳がこの世を去ったその年に、伊藤若冲(1716~1800)と与謝蕪村(1716~1782)が生まれた。来年生誕300年を迎える。
尾形光琳「紅白梅図屏風」-銀箔・月光・暗香
若冲は京都の青物問屋の長男として生まれ、30代で参禅し「若冲居士」の号を名乗り、40歳で隠居して画業に専念する。
蕪村は大阪の農家に生まれ、20代で江戸に出て俳諧を学び、俳諧の師匠との死別を機に僧侶となり、北関東や東北地方を10年間遊歴し、42歳ころから京都を活躍の舞台とする。
光琳は1716年の7月20日に亡くなっており、若冲は3月1日生まれ、蕪村の生まれた日は不明。私には光琳の魂が二人に分霊して生まれ変わったような気がしている。
特に若冲の画風は琳派的な装飾性が受け継がれている。若冲は光琳が亡くなる前に生まれているところは大目に見て欲しい。
私が強引に3人を結びつけたいのは、「若冲と蕪村」が光琳の没年に生まれたことで、光琳という天才の脈が二人に受け継がれたという印象は否めないからだ。彼らは日本美術界が世界に誇る稀代の絵師たちである。
「若冲と蕪村」の展示を見ると、「剛」の若冲に対して「柔」の蕪村。見事な対比を見せながらも、互いの画風が交差し、時にどちらなのかと見まごうところもある。
●中国・朝鮮からの影響
江戸時代においてお隣の朝鮮と中国は交流があり、特に中国の沈南蘋(シン・ナンピン/本名は沈詮シン・セン)の写実的で立体的な画風は一世を風靡し当時の画家に大いに影響を与えた。
若冲が得意とする鶏は、幾度もスケッチを繰り返すことで生まれる写実的な描写力もさることながら、画家の対象に迫る気迫が画面から漂う。大胆な構図と筆さばきによる絢爛豪華な鶏は、鋭く、鬼気迫るものがある。
一方蕪村は、もともと文人画の画家であるゆえに写意的な表現を得意とし、若冲のような厳格な写実に徹する画風ではないが、十分に写実の力量を持つ。
■沈南蘋(シン・ナンピン)「草花群禽図」138.2×81.4 1750年作
■(右)若冲「月に叭叭鳥(ハハチョウ)図」102.5×29.1
(左)蕪村「枯木叭叭鳥図」144.4×46
虎の絵などは、若冲や蕪村だけでなく円山応挙なども「朝鮮民画」か朝鮮の画家の絵からの影響を受けたと考えられる。
朝鮮民画(1)「民画とは」
かつて朝鮮半島には虎が生息していた。日本には虎は生息していなかったので、絵師たちが虎を描くにあたっては、朝鮮や中国の絵を参考にしたり猫のスケッチも役立てたに違いない。
朝鮮民画(4)「虎図」
下の仔犬の絵は蕪村が参考にしたと思われる朝鮮の李厳の絵である
■李厳「花下遊狛図」部分図
■蕪村「仔犬図襖」と部分図
●若冲の装飾性と新しさ
若冲の絵画は、上述した写実も見事であるが、形体の表現を単純に簡略化したりして、デザイン的な面白さがある。
色彩に関しては、今回の出品にはなかったが、現代のデジタルを思わせる小さな桝目の中に様々な色の濃淡を駆使して、まるで印象派の点描画のように描き、見るものがそれを視覚で混合することで色彩が深まる。とても新しい。
若冲は点描の巨匠スーラよりはるか以前にこうした描き方で作品を表している。
下図の「松上白鶴図」は、他の若冲の絵に共通する力強い運筆であり、「松の葉」は筆を刷毛状にしてシャープに迸るように素早く一気に描いている。対照的に、鶴の肢体は淡墨の一本の線のみで、また梅の花は丸であらわしたりと、単純化して描くも対象の存在感はむしろより強く感じる。自由な発想が見えてとても面白い。
■若冲「松上白鶴図」
■若冲「松上白鶴図」部分梅
下の作品、若冲の「猿猴摘桃図」はシン・ナンピンに学んだ写実性と緻密な構成、そして枝に囲まれた部分の濃淡の度合いを違えて塗ることで、一つの画面に多重的な空間をあらわしており、極めて斬新な感覚を受ける。これはキュビズムにも繋がり得る表現である。
■若冲「猿猴摘桃図」
●文人画家蕪村
蕪村の魅力は自在かつ闊達で淀みがなくまろやかな描線だ。俳諧を為す文人としても最高峰の人物であり、詩書画一体を旨とする文人画家としても最高の画家のひとりである。
「若冲と蕪村」の展示を見ると、若冲はあまり自分で賛は書かないで、他の人の賛が多かった。それに対して蕪村はほとんど自賛だ。
蕪村の字は実に魅力的である。漢字とひらかなが絶妙に調和し、融け合って舞い踊るように書かれている。墨の濃淡乾湿も絶妙で、そうした技術を駆使して描く空気や木の枝などの線描表現は、見る者の心を躍らせる。
■蕪村「天橋立図」1757年
■蕪村「鳶・鴉図」二幅(重要文化財)および部分図
音を立てて打ち付ける風雨に向き合う「鳶」と、静かにしんしんと降りしきる雪に佇む「鴉」。水墨の筆先から生まれ出た生命が画面の隅々まで宿される。
とてもやさしくて暖かい絵じゃないか。
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■若冲「雪中雄鶏図」114.2×61.9
■蕪村「山水花鳥人物図」十幅対のうち一幅の部分図
琳派の巨人、尾形光琳がこの世を去ったその年に、伊藤若冲(1716~1800)と与謝蕪村(1716~1782)が生まれた。来年生誕300年を迎える。
尾形光琳「紅白梅図屏風」-銀箔・月光・暗香
若冲は京都の青物問屋の長男として生まれ、30代で参禅し「若冲居士」の号を名乗り、40歳で隠居して画業に専念する。
蕪村は大阪の農家に生まれ、20代で江戸に出て俳諧を学び、俳諧の師匠との死別を機に僧侶となり、北関東や東北地方を10年間遊歴し、42歳ころから京都を活躍の舞台とする。
光琳は1716年の7月20日に亡くなっており、若冲は3月1日生まれ、蕪村の生まれた日は不明。私には光琳の魂が二人に分霊して生まれ変わったような気がしている。
特に若冲の画風は琳派的な装飾性が受け継がれている。若冲は光琳が亡くなる前に生まれているところは大目に見て欲しい。
私が強引に3人を結びつけたいのは、「若冲と蕪村」が光琳の没年に生まれたことで、光琳という天才の脈が二人に受け継がれたという印象は否めないからだ。彼らは日本美術界が世界に誇る稀代の絵師たちである。
「若冲と蕪村」の展示を見ると、「剛」の若冲に対して「柔」の蕪村。見事な対比を見せながらも、互いの画風が交差し、時にどちらなのかと見まごうところもある。
●中国・朝鮮からの影響
江戸時代においてお隣の朝鮮と中国は交流があり、特に中国の沈南蘋(シン・ナンピン/本名は沈詮シン・セン)の写実的で立体的な画風は一世を風靡し当時の画家に大いに影響を与えた。
若冲が得意とする鶏は、幾度もスケッチを繰り返すことで生まれる写実的な描写力もさることながら、画家の対象に迫る気迫が画面から漂う。大胆な構図と筆さばきによる絢爛豪華な鶏は、鋭く、鬼気迫るものがある。
一方蕪村は、もともと文人画の画家であるゆえに写意的な表現を得意とし、若冲のような厳格な写実に徹する画風ではないが、十分に写実の力量を持つ。
■沈南蘋(シン・ナンピン)「草花群禽図」138.2×81.4 1750年作
■(右)若冲「月に叭叭鳥(ハハチョウ)図」102.5×29.1
(左)蕪村「枯木叭叭鳥図」144.4×46
虎の絵などは、若冲や蕪村だけでなく円山応挙なども「朝鮮民画」か朝鮮の画家の絵からの影響を受けたと考えられる。
朝鮮民画(1)「民画とは」
かつて朝鮮半島には虎が生息していた。日本には虎は生息していなかったので、絵師たちが虎を描くにあたっては、朝鮮や中国の絵を参考にしたり猫のスケッチも役立てたに違いない。
朝鮮民画(4)「虎図」
下の仔犬の絵は蕪村が参考にしたと思われる朝鮮の李厳の絵である
■李厳「花下遊狛図」部分図
■蕪村「仔犬図襖」と部分図
●若冲の装飾性と新しさ
若冲の絵画は、上述した写実も見事であるが、形体の表現を単純に簡略化したりして、デザイン的な面白さがある。
色彩に関しては、今回の出品にはなかったが、現代のデジタルを思わせる小さな桝目の中に様々な色の濃淡を駆使して、まるで印象派の点描画のように描き、見るものがそれを視覚で混合することで色彩が深まる。とても新しい。
若冲は点描の巨匠スーラよりはるか以前にこうした描き方で作品を表している。
下図の「松上白鶴図」は、他の若冲の絵に共通する力強い運筆であり、「松の葉」は筆を刷毛状にしてシャープに迸るように素早く一気に描いている。対照的に、鶴の肢体は淡墨の一本の線のみで、また梅の花は丸であらわしたりと、単純化して描くも対象の存在感はむしろより強く感じる。自由な発想が見えてとても面白い。
■若冲「松上白鶴図」
■若冲「松上白鶴図」部分梅
下の作品、若冲の「猿猴摘桃図」はシン・ナンピンに学んだ写実性と緻密な構成、そして枝に囲まれた部分の濃淡の度合いを違えて塗ることで、一つの画面に多重的な空間をあらわしており、極めて斬新な感覚を受ける。これはキュビズムにも繋がり得る表現である。
■若冲「猿猴摘桃図」
●文人画家蕪村
蕪村の魅力は自在かつ闊達で淀みがなくまろやかな描線だ。俳諧を為す文人としても最高峰の人物であり、詩書画一体を旨とする文人画家としても最高の画家のひとりである。
「若冲と蕪村」の展示を見ると、若冲はあまり自分で賛は書かないで、他の人の賛が多かった。それに対して蕪村はほとんど自賛だ。
蕪村の字は実に魅力的である。漢字とひらかなが絶妙に調和し、融け合って舞い踊るように書かれている。墨の濃淡乾湿も絶妙で、そうした技術を駆使して描く空気や木の枝などの線描表現は、見る者の心を躍らせる。
■蕪村「天橋立図」1757年
■蕪村「鳶・鴉図」二幅(重要文化財)および部分図
音を立てて打ち付ける風雨に向き合う「鳶」と、静かにしんしんと降りしきる雪に佇む「鴉」。水墨の筆先から生まれ出た生命が画面の隅々まで宿される。
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