見立ての現代アート「原爆ドーム」

先日、韓国のソウルで、画家の車一萬(チャ・イルマン)に誘われ、初めて会う西洋人たちと飲食をともにしました。

この日集ったのはスペイン人とオーストリア人とアルゼンチンで育った韓国人(この人だけ女性)。車一萬と私を含めて全員で5名。

アルゼンチン育ちの韓国女性は外交官の通訳を頼まれるほどスペイン語が堪能。韓国の企業に勤めているオーストリア人はドイツ語が母国語ですが英語と中国語とフランス語と片言の日本語を話します。スペイン人は日本に留学経験があり日本語が上手。車一萬は韓国語だけでなく英語と片言の中国語(現在蘇州にアトリエがある)。私は日本語と韓国語そして英単語の羅列。

実に7か国語が飛び交い、ソウルの中心部で日本人が経営する居酒屋は一角だけおかしな賑わいを見せました。

大邱で大学教授をしているという陽気なスペイン人は、2年間の日本生活のおかげか私の日本語をほとんど理解します。オーストリア人も日本に数か月いたことがあるそうで、日本の「侘・寂(わび・さび)」に感動しているというインテリゲンチャです。この人は翻訳機に英語を打ち込んで難しい話を吹っかけてきます。

会話はだいぶ盛り上がってきて、いつしか広島の原爆ドームの話になりました。

彼らは感傷的にドームを話したいようでした。それに対して、私は、

「アメリカは日本の降伏がもう時間の問題であることを知っていながら広島・長崎に原爆を落とした。そして戦後すぐに調査に入った。あれはアメリカによる人体を使った核実験でもあった。」彼らは真剣に聞いてうなずいていました。

「戦争を終わらせるための原爆投下」という理由は、あの惨事を思えば理屈に合わないものです。

さらに、私が「ヒロシマの原爆ドームは美しい。チェコ人の建築家ヤン・レツルによる設計がもともと美しいので、廃墟になってもその美しさをとどめている。しかも廃墟となることで別の美しさがそなわった」と語ると、ヨーロッパから来たこの二人の男は「原爆ドームが美しい」などと聞いたことはないので、私の話にどこか戸惑っている様子でした。

すると画家の車一萬がスマホから自分の水彩画の画像を出して見せました。

原爆ドームのスケッチです。2005年に彼が現場でスケッチをしたものです。

■車一萬「原爆ドーム」水彩スケッチ(2005年)
画像

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(2005年にスケッチしたものですが、後に彼が中国語を学んで中国の簡体文字で漢詩を書き入れています。朱色の漢詩が無い方がよかったのに・・・)

●原爆ドーム存在の意義
マスコミの報道により私たちは広島に投下された原爆に関するたくさんの映像や写真を繰り返し目にしてきました。

原爆ドームを目にすると被害にあった人のケロイドなど悲惨な光景が目に浮かびます。そこから、核兵器や戦争の悲劇を伝えるという意味でのドームの存在意義が生まれます。

破壊されて瓦礫となったドームの前に立ってみると、あたりにどこか不穏な空気が感じられます。そうした不穏さは核爆弾がもたらした人的被害の惨状を写真などで見た記憶を呼び覚ますからです。それはネガティブな感覚です。

だからこそ、このドームの存在自体が、原爆投下後から現在に至るまで世界に潜在する核戦争の危機に警鐘を鳴らしてくれるのです。「忘れるな」と。

やる必要もなくやってはいけないアメリカの原爆投下でしたが、ただ、もしヒロシマ・ナガサキがなかったら、人類はもっと大きな核戦争に突入していたかもしれません。

もう一度言うならば、原爆によって瓦礫となったドームの姿が核の脅威を身をもって示しているがゆえに、その存在自体が核戦争を抑止する力を秘めていると言えます。

上述したヨーロッパの兄弟たちも、そうしたある意味センチメンタルな視点でドームを見た感想を述べたかったのでしょう。

●美しい瓦礫をアートに見立てる
しかし、原爆に関する感傷的な視点を捨てて原爆ドームをただ素直に見てみたならばどうでしょう。私ははじめて間近に原爆ドームを見たときに、これにまつわる物語を離れて「美しい」と感じました。

もしこのドームがこれほど美しくなかったら、本来の存在意義を人々の心に訴える力も半減するはずです。

ギリシャ神殿が廃墟となっても美しいのは、もともとの神殿にそなわった均整美があったからです。同様に原爆ドームもまた優れた設計によって作られた美しい均整を誇る原型がありました。私が原爆ドームに感じた美しさはそこから来るのでしょう。


日本には「見立て」という美意識があります。「見立て」とは「物を本来のあるべき姿ではなく、別の物として見る」という物の見方で、本来は漢詩や和歌の技法からきた文芸の用語です。

たとえば日本の茶人たちは、ただの生活雑器であった高麗茶碗をわび茶の道具として採り入れ珍重しました。そこに新たに別の美を発見したのです。
井戸茶碗「戦国武将が憧れたうつわ」根津美術館

マルセル・デュシャンの便器に始まったコンセプチュアルアートの世界ですが、レディメイドも一種の見立てです。

広島の「原爆ドーム」に「現代アート」のコンセプトを持ち込んで作品と見立ててみるとすれば、はたしてそれは原爆の犠牲になった人々に対する不敬となるのでしょうか。原爆ドームはその存在そのものが反戦と平和のアイコンであり、同時にどんな慰霊碑よりも力強い鎮魂の碑でもあります。

私はこう思います。「原爆によって破壊されたドームには人々の心を慰める美がそなわっている。そのままの造形においてもコンセプチュアルにも」と。

ならば、これほど圧倒的な迫力をもって人々の心に迫るアートはほかにないでしょう。

タイトルは・・・・。


画像

車一萬(チャ・イルマン)
車一萬・亜州美術館個展「上善は水の如し」


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