フィンセント・ファン・ゴッホ「種をまく人」

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        ※ゴッホ「種をまく人」

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         ※ミレー「種をまく人」ボストン美術館

2011年2月20日AM9:00から放映されたNHK日曜美術館「ゴッホ」を見ました。

ゴッホは、純粋でありながら、そのくせ激しい性格の持ち主ゆえに、その生涯はいつも「傷ついた心」を抱えていました。

「初恋の告白と失恋」「牧師になることの挫折」「娼婦の親子に対する哀れみと離別」「友人ゴーギャンとの決別」など。ゴッホはそのつど一見常軌を逸した行動を取ります。

おもえば、彼が受けた心の痛みは全て「愛が引き裂かれた痛み」です。

しかしその痛みが深ければ深いほど、逆に、より深く強い愛の波動を自らの作品に塗り込めることが出来たのかも知れません。

画家の箴言名言(9)ゴッホ「燃える魂の声に従った人生」


●ゴッホとキリスト教

日曜美術館ではいくつかのゴッホのテーマの一つとしてキリスト教をクローズアップしていました。

ゴッホの生涯においてキリスト教は切り離すことができません。

番組でも紹介していましたが、父親がプロテスタントの牧師という宗教的な家系に生まれ育ったこともあって、ゴッホは画家の道を歩む前に牧師になる決意をして必死に勉強しました。

だがその甲斐もなく、牧師になるための試験に落ち、その後伝道師となって「まるでキリストのごとく?」貧しい人々に全身全霊をかたむけて尽くすものの、あまりにも激しく活動する姿は教会の意志にかなわず、結局、首を切られ伝道師を続けることができなくなってしまいました。

ゴッホはこの挫折によって、逆に心の奥深くで強く神を求めるようになったのかもしれません。

ゴッホが描く「種をまく人」の背後には大きな太陽が描かれています。彼の生涯を知ってこの絵を見ると、私には、この「太陽の光」は、存在する全てを生かすために無条件に降り注がれた神の愛の象徴のように見えます。

最初はミレーの絵の模写から始まったゴッホの「種をまく人」は、次第に表現主義的なエネルギーに満ちた独特の作品に創り上げられたのでした。

それは、ミレーの「種をまく人」の創作の動機と重なりますが、かつて牧師を目指し伝道師として投入した自分自身の姿、「み言の種を撒く人」です。


番組の中では、舞台でゴッホを演じた仲代達也へのインタビューがありました。

仲代が「ゴッホは(イエス)キリストを慕っていたが、キリスト教自体は嫌っていたと思う」といったことを語っていたのが印象的でした。

小生は学生時代に芝居をしていた経験から、仲代達也のこの言葉は、単なる想像ではなく、ゴッホと同化した実感であると判断します。

役者はその人物になりきるために感情移入をするのですが、特に仲代達也のような役者は人一倍感情を凝縮させます。仲代がゴッホになりきった時は、まるで時空間を越えてゴッホが宿ったような感覚を得ていたに違いないと思うのです。

ゴッホはキリスト教会を嫌悪しながらも、いっそう深く神を求めていたはずです。

不器用なゴッホにとっては組織や儀礼に縛られた宗教家よりも画家という孤独な芸術家が似合っていました。というよりも画家が天職でした。

ゴッホは、キリスト教に裏切られることで、組織的な「宗教」という権威的な虚偽の愛から、「芸術」という真の愛に向かうことが出来たと思うのであります。

キリスト磔刑図
「芸術と宗教」スピリチュアルなアート

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         ※ゴッホ「ひまわり」

ゴッホを心から愛したのは弟のテオでした。

もう一人います。

ゴッホが死んだときに、「なんてことだ、こんないいやつが死んでしまった・・・」と本当に嘆き悲しんでくれた友人がいます。

タンギー爺さんです。

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        ※ゴッホ「タンギー爺さん」

私はゴッホは幸せだったと思うのです。

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