岡野岬石とセザンヌー存在する物と空間の妙

岡野岬石の絵を買った。手持ちの絵を処分し、それを元手に購入したのだが、これがまたいい。

■岡野岬石「枇杷」油彩 5号
画像


なにがいいかと言えば、まず私はセザンヌを感じた。

「セザンヌの静物画とは違う」という声が聞こえてきそうだし、セザンヌとは違うけれどそう言いたい。

枇杷の葉や実を映し出す光、光に絡んだ物の存在感と空間が絶妙にいい。

現在岡野岬石が標榜するイーゼル絵画なるものは、風景ならば屋外に出てイーゼルにキャンバスを立てその場で油彩で描いてゆく。仕上げはアトリエでするのだが、9割がたは外で描いている。

静物や花は実物を直接見ながら油彩で描く。

対象の風景の前にキャンバスを立てて描いたのはモネなどの印象派の画家たちだが、岡野岬石は現在セザンヌに傾倒している。そして、ものの考え方いわゆる精神世界は道元である。

それまでの「光」を追い求めてきた画風から、イーゼル絵画になってから空間を特に意識するようになったらしい。この絵「枇杷」にはじつに空間の妙がある。

鑑賞者がイーゼル絵画作品の前に立つと、その瞬間作家の視点に立たされる。そして描かれた画中の空間と自身が存在する現実空間がつながっているような錯覚を覚える。拡大する空間を体験するとでもいおうか。

見るほどに物の存在感が際立ってくるのである。これが坂本繁二郎のいう「物感」なのだろうか?

最後に坂本繁二郎の一文を添えておく。

「物の存在を認むる事に依って自分も始めて存在する。存在によりて存在する意識は、自分の外には何物もないけれども、物の存在を認むる事は、自他同存でありながら意識には物なる只其事のみである。自分なる者があっては、それだけ認識の限度が狭くなる。自己を虚にして始めて物の存在をよりよく認め、認めて自己の拡大となる。此存在の心は、自然力その脈動する意識であるかも知れない。刹那々々のみを、自分たり得る心である。強いて説明すれば消滅するこころだらう。」(「存在」明治44年)


この絵はまさにそれをくれる。


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