「絵画は幼少期の闇を晴らせるか」

●ひもじさ
小学生のころ、同級生に心臓が右についている男子がいました。


その子は背も低くガリガリに痩せていて、こけた頬の上の眼はくぼんで少し飛び出しています。生まれつき身体が弱いようです。


私の生まれ育った東北の小学校では、学校給食が始まったのは1960年代の半ば、私が小学4年生のときでした。


一時期何かの事情で1週間くらい給食がなく、「みな弁当を持ってくるように」ということがありました。昼食時には、久しぶりに親が作ってくれた弁当の中身を互いに覗きあいながら食べました。


ところが、その男の子だけは食べずに教室の後ろで一人遊んでいるのです。


次の日もその次の日もそうでした。


そうして何日かしたある日、彼はお弁当を持ってきました。見ると、新聞紙にご飯だけを包んだものでした。それをおいしそうに手で食べています。


そこではじめて、彼が眼球が飛び出すほどに痩せこけている理由を知りました。

「この子はまともに食べさせてもらえずに生きて来たんだ」と。


子供心にも哀れみが沸きました。


私は「自分の弁当を分けてあげたい」という気持ちがあっても、どこか気恥ずかしくてあげることが出来ませんでした。


子供にとって、ひもじいことほどつらいことはありません。


それから何か月かして彼は突然転校して行ってしまいました。


●青あざ

次に別の生徒のことです。クラスの中でもむちゃくちゃ勉強のできない子供が何人かいましたが、その中の一人の男子生徒です。


彼は身体が小さく喧嘩も弱いのによく人にからんだり悪さをして問題を起こす子でした。性格も浮き沈みがあり、たまにふさぎ込んでることがあります。


しかし笑った時の表情がとても可愛く、小さな目をさらに細めて笑う彼の笑顔は今でも目に浮かびます。その笑顔は、今思えば彼の自己防衛の方法だったのかもしれませんが、生来の「情の良さ」が滲んでいます。


ある日、彼は両目のわきを青あざだらけにして学校に来ました。あきらかに何度もビンタを受けたことがわかります。


「この子は親に殴られながら育ってきたんだ」


ただ彼は、「誰にやられたのか」という担任からの問いかけに対しては口をつぐんだままでした。今ならば虐待で調査が入るでしょう。


子供は自分を虐待する親であったとしても守ろうとします。なぜならそれが自分の命綱だから。子供が幼なければ幼いほど生きることを親に委ねているのです。


どんな家に生まれるか、さらにはどんな国に生まれるかが、人生を決めていくところがあります。


人はそれぞれの幼少期を経て大人になるのですが、そのころネガティブに植えられたものが強い場合、大人になってもその人の心を蝕んでいることがあります。


心を病んだまま、ただ世の中を彷徨っている人は多いのです。


●絵画は幼少期に受けた心の闇を浄化する力があるだろうか

10年くらい前の関西の展示会でのことです。


ゲストの婦人は、数多く展示されている絵画の中で、ルバダンというベトナム系フランス人画家の抽象的な絵に惹かれました。30万くらいだったと思います。群青色の中に白くにじんだ部分と小さく赤い色が描かれています。

(同様作品の画像)

mルハt0039 ルバダン.jpg

紹介者である友人の求めに応じて私が説明に入りました。そのときその婦人は「こいう絵を気に入る人は変でしょ。変でしょ。」と、自虐的な言葉で防衛線を引いていました。


私はこう切り出しました。


「画面全体が群青の闇に覆われているように見えます。こうした絵は心の中の闇に相対することがありますが・・・・」と説明を始めた途端、このゲストは恐ろしい表情で「もうやめてください。聞きたくありません!」と私の言葉を制するのです。


私は驚きましたが「せっかくですから最後まで聞いてください。すぐに終えますから。」と言って続けました。


「群青の中に描かれた白い色は闇に浮かぶ光のようにも見えます。また赤色のアクセントは周りの冷たい青が支配する画面の中で暖かさを感じさせます。あるいは青色の静けさと包容力をより際立たせてくれます。」


「かつて日本人の平野遼という画家は『闇を通過しない光は本物の光ではない』と言いました。言い換えれば苦労を乗り越えた希望こそが本物の希望だということです。」


「この絵は深い闇の中に光が射していると見ることができます。ですから希望を描いているのです。」


言い終えるとゲストではなく友人の方がボロボロと涙を流して泣いていました。私は席を立ちました。


あとでゲストはその絵を購入しました。友人の涙がゲストの心を解いたのです。


友人にゲストがどんな人かを訊いてみました。すると


「この方は幼い頃から親に完全に否定されて生きて来ました。何をやっても否定されてきたことで性格も曲がってしまいました。彼女の心は愛されなかった怨みに満ちています。私が泣いたのは、絵の説明を聞いて、心の奥に深い闇を抱えてもがいている彼女がそれでも希望を見出そうとしていることがわかって・・・」


この友人は本当に母親のようにゲストの心に寄り添っていたのです。


ゲストのその後のことはわかりません。ただ言えることは、そのとき一枚の絵画が病める心を慰め生きる希望を与えたということです。そうでなければお金を出して買ったりなどしません。


一枚の絵画の中は「愛」に満ちているのです。







mルハt0039 ルバダン.jpg


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